(2009年10月9日)
ブルーマングループの「ブルーマン」たちと。アンの手に塗ってもらった青色の塗料を落とすのはひと苦労でした
アンと私が1991年にニューヨークを訪れた時のこと。街中がオフ・ブロードウェイでの「ブルーマングループ」の公演の話題で持ち切りでした。ブルーマングループは、音楽コンサート、マルチメディア、パントマイム、即興劇を融合させた、これまでにない全く新しい表現手法を取り入れ、毎晩、観客と出演者が一体となる舞台をつくり上げていました。残念ながら、このショーのチケットは売り切れており、私たちの手には入りませんでした。
ですから、ブルーマングループ・プロダクションから東京公演にご招待いただいた時は、アンも私も大喜びでした。印象的だったのは、六本木にある劇場を訪れていた観客の中には、デート中の若い人たちや私たちのような夫婦連れのほか、お孫さんと一緒のご婦人たちもいたことです。
公演後、アンと私は、楽器を演奏した方々、そして「ブルーマン」にお会いしました。出演者の国籍は、米国、カナダ、英国、日本とさまざまです。東京に住んで公演する生活がとても気に入っていると、彼らは話してくれました。
日本、北米、ヨーロッパで、観客の反応に何か違いがあるか聞いてみたところ、観客の反応は世界中どこも同じようなもの、という返事が返ってきました。3人の「ブルーマン」には髪の毛も耳もなく、話もしません。どの国の出身といっても通用しそうなところが、彼らが国際的に受けている理由のひとつではないでしょうか。
音楽担当の皆さんの話によると、最も大変なのは、舞台の演技に演奏を合わせることだそうです。役者と観客のやりとりは毎晩違うため、創造的な伴奏を即興で付けなければならない、ということでした。アンも私も、公演を十分に楽しみました。皆さんもぜひご覧になってください。もうすぐ千秋楽ですから、お見逃しなく!
ではまた次回。
ジム
ブルーマン、その他の出演者たちと
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