Z Notes Blog by Jim Zumwalt
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東北大学を訪ねて

(2009年10月20日)

東北大学の井上明久総長と

 この夏、私は東北を旅したのですが、東北を訪れたからには、仙台にある東北大学に立ち寄らないわけにはいきませんでした。総長の井上明久博士から伺った話では、東北大学は今後、外国人の留学生と教授の数を増やしていく予定だということでした。この話を聞いて、私はとてもうれしく思いました。というのは、私自身が過ごしたカリフォルニア大学バークレー校での学生生活を振り返ってみると、時にアメリカ人とは異なる視点で問題を考える外国人留学生から、とても多くのことを学んだからです。

 外国人に対する東北大学の開放性は、驚くべきことではありません。1907年の創立以来、東北大学は入学希望者への「門戸開放」を、その建学の理念としてきました。どういうことかというと、ほかの帝国大学は、入学を旧制高校出身者に限定していましたが、東北大学は創設期から、旧制高校出身者に加え、専門学校と高等師範学校の卒業生も受け入れたのです。そして1913年には、日本の帝国大学で初めて、3人の女性の入学を許可しました。東北大学史料館で、永田英明助教から、これら女子学生の入学を認めた東北大学の決定を問題視する文部省(当時)からの書簡を見せてもらいました。こうした東京からの圧力にもかかわらず、3人の女子学生は入学を認められ、卒業後は素晴らしいキャリアを積んでいきました。

 この話を聞いて頭に浮かんだのは、私の祖母フランシス・ズムワルトのことでした。祖母は、1917年にカリフォルニア大学サンフランシスコ校の医学部を卒業しました。東北大学初の3人の女子学生とちょうど同じころです。当時の米国では、女性が医学を学ぶのは非常にまれなことでした。男性優位の教育機関で学問上の目標を達成するために、祖母も同じような多くの困難に直面したに違いありません。

 今日では、日米いずれの国でも、多くの女子学生が大学で学んでいます。それも、私の祖母や、そしてこの東北大学の3人の女性のような、草分け的な人たちがいたからこそです。彼女たちの存在が、後に続く何世代もの女性研究者の道を開いた、と言えるでしょう。

ではまた次回。

ジム

COMMENTS

ジム様

先日、企業の「インターン制度」の番組を観る機会がありました。ジム様の東北大学でのお話やお婆様のお話を伺うもこの番組のことをおもいだしました。番組内で「インターン社員」を受け入れる社長のお話には「日本のノウハウ、インターン社員の祖国のノウハウあいまって互いに理解しあいプラスになる」という素敵なお話でしたもっと多くの大学、企業が解り助け合うようになることを祈念して..

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