Z Notes Blog by Jim Zumwalt
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ゲストブロガー  ナオミ・ウォルコット 「国際女性の日」

(2011年3月11日)

 今回のゲストブロガーは、在日米国大使館・経済部で働くナオミ・ウォルコットさんです。「国際女性の日」を記念して、日本の女子大学の草創期における立役者の1人、津田梅子についてつづっています。

ジム


女子教育の草分け

(写真提供 ブリンマー大学)

 3月8日は「国際女性の日」です。そこでこの日を記念し、ある日本人女性の業績に光を当ててみたいと思います。この女性の名前は津田梅子。日本で初めて女子大学が設立されるようになった頃、そのうちの1校を彼女が設立したことは日本で広く知られています。でも梅子が留学生として米国に渡った初めての日本人女性だったことはご存知でしょうか。類いまれな女性である梅子は日米関係、教育交流、そして女子高等教育の発展に貢献し、後に続く世代の女性たちのお手本となっています。

 1871年、まだ6歳だった梅子は、日本から米国へ留学する4人の少女の1人に選ばれました。彼女たちの留学は、国を開いて海外の情報や影響を取り入れようとする明治政府の取り組みの一環でした。梅子はその後11年間、米国で勉学に励みました。渡米直後はワシントン郊外で暮らし、後にフィラデルフィアのブリンマー大学を卒業しています。

 日本に帰国した梅子は、当時の日本が近代化の道を歩んでいたにもかかわらず、日本人女性には法律的・社会的な制約の壁が立ちはだかっていることを知り、がくぜんとしたそうです。梅子は1891年に行った講演で、女性を日本の社会に十分に組み込むことの必要性を説き、「日本の発展が一方に片寄っており、国民の半分が前進に向け後押しを受ける一方で、残りの半分が後方にとどめられている限り、日本が真の意味で進歩することは決してかなわないでしょう。女性の地位が向上し女子も教育を受けられるようになるまで、日本の地位が真の意味で高まることはあり得ないと感じます」と語っています。

国際女性の日を記念する東京でのイベントにパネリストとして参加する在日米国大使館経済部のナオミ・ウォルコット書記官(3月4日)

 自由な発想と自立心を持った女性の育成を目指し、梅子が日本の先駆的な女子高等教育機関のひとつで津田塾大学の前身となる「女子英学塾」を創設したのは1900年のことでした。同校の教育内容は厳しく、特に重点を置いたのが英語などの外国語教育でした。

 それから100年以上たった今日も、梅子の貢献は私たちの心に響いており、私たちはあらゆる社会において女性の機会を増大させることが重要であると認識するとともに、グローバル化した世界での成長と意見交換を促すために海外留学の促進が必要であることも認識しています。後進の多くの女性指導者たちのために道を切り開き、お手本となったこの日本人女性を紹介する機会に恵まれたことをうれしく思います。

ナオミ・ウォルコット


出典   Shibahara, Takeo, "Through Americanized Japanese Women's Eyes: Tsuda Umeko and the Women's Movement in Japan in the 1910s." Journal of Asia Pacific Studies (2010) Vol 1, No 2, 225-234.

COMMENTS

ナオミ様

TV番組でも「津田梅子」さんの特集されていました。6歳でひとり、なにも解らない国への留学 帰国後の活動時代・思想も逆さまだった日本を動かされた梅子さんおあいしたかった。男女みな人間、志をもって前向きに生きたいと元気になりました。

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