Z Notes Blog by Jim Zumwalt
Z Notes Banner
「最善を尽くせ」

(2010年11月5日)

 「最善を尽くせ、しかも一流であれ」。この言葉は、山梨県の清里で長年暮らした米国人宣教師、故ポール・ラッシュ博士の口癖でした。アンと私がこの偉人について知ったのは、この前「ポール・ラッシュ祭り(八ヶ岳カウンティフェア)」に行ったときでした。

 米国ケンタッキー州出身のラッシュ博士が初来日したのは1925年のことで、関東大震災で崩壊した横浜のYMCAなどを再建するためでした。博士の日本滞在は、当初1年間だけの予定でしたが、東京の立教大学で英語を教え始めたところ、若い指導者たちの育成に関心を持つようになったのです。また、アメリカンフットボールを日本に紹介し、同大学で日本初のアメフトチームを誕生させたのもラッシュ博士でした。

ポール・ラッシュ博士

 1938年、ラッシュ博士は清里の地で、青少年の訓練・宿泊施設の建設に取りかかりました。この清里という場所に「恋」をしたのです。ここから富士山を見渡すことができるからでした。戦後、清里に戻った博士は、1945年から1979年にその生涯を閉じるまでずっとこの地で暮らしました。彼はたびたびアメリカに一時帰国し、各地の教会を回って日本での自分の事業のことを話し、清里での農地開拓や診療所開設、教会建設のために資金集めをしました。博士が設立したセンターは現在も、学校やガールスカウト、ボーイスカウトなどの青少年育成団体が、環境教育や指導者育成の場として活用しています。

 清里では、ラッシュ博士の教え子の1人にお会いすることができました。この日本人男性から伺った話では、ご自身やほかの多くの教え子たちが「ポール先生」から教わったのは、自分なりの「人生の目的を見つける」ことだそうです。人は誰もが特別な才能を神様から授かっており、自分の才能を見い出して生かし、社会に「還元」することが、それぞれに与えられた役割だ、とポール先生は信じていました。この方は、ずっと以前にポール先生から学んだ人生の教訓を、決して忘れたことがないそうです。

ではまた次回。

ジム

COMMENTS

ズムワルトさん 今日は最善をつくせ 一流であれとのアメリカ人宣教師の方が残されたお言葉を始めて知りました

Embassy of the United States Embassy Main |  U.S. Citizen Services |  Visas |  Policy Issues |  State Department
Contact Us |  Privacy |  Webmaster