Z Notes Blog by Jim Zumwalt
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ゲストブロガー  エドワード・バールソン 「人と人の助け合い」

(2011年6月3日)

 今回のゲストブロガーは、在日米国大使館領事部で働くエドワード・バールソンさんです。東日本大震災の発生から数日後、彼は宮城県仙台市に派遣され、現地在住のアメリカ市民の所在や安否を確認し、支援活動にあたりました。

ジム


東北での救援活動

石巻市の中心街で、オーストラリア大使館のフィル・アンダーソンさん(右)と私

 3月11日の東日本大震災後、私はもう1人の領事、領事部の日本人職員2人、そして大使館の運転手さん2人と共に宮城県に行きました。文字通り県内の隅から隅までくまなく回り、行方不明になっているアメリカ人を探して安否を確認しました。

 情報不足だったこともあり、連絡が取れなかったアメリカ人一人一人の足取りを追って何カ所にも足を運ぶ必要がありました。自分たちがまるで刑事のように思えたのも一度や二度ではありませんでした。避難所をはじめ、病院、遺体安置所、市役所、警察署など、手掛かりをたどってどこへでも行きました。宮城県には7日間いましたが、その間に所在が分かったり安否確認が取れたアメリカ人は全部で62人でした。

同僚のアンディ・アチッグ(右から2人目)と宮城県の農村部にいる2人のアメリカ人の安否を確認し、同じ地域の他のアメリカ人の情報を収集

 この間に、素晴らしい人たちに遭遇しました。石巻市の中学校ではJETプログラムで派遣されたアメリカ人の英語教師に会いました。彼女は今回の危機的状況の中、派遣先の中学校でリーダー的な存在になっていました。避難する機会があったにもかかわらず、彼女は自分の第二のふるさととも言える地域の役に立ちたいと思い、石巻に残ることにしたのです。

石巻市内で空腹の人たちに温かい食事を作る地元住民の皆さん

 私たちが訪れた22カ所の地元の行政機関では、県庁や市役所などの職員の方たちが県内在住アメリカ人の名前と住所、それに勤務先や住んでいる場所の地図までわざわざ用意してくれました。本当にありがたいことでした。なすすべもない状況下に置かれた職員の皆さんのストレスを思えばなおさらです。

大地震と大津波に見舞われた4日後、水没した石巻市内の様子

大津波の爪あとが残る石巻市街

 水没したままの石巻市役所本庁舎の隣りには車の止まっていない駐車場があり、損壊した家屋の廃材を燃やし、持ち寄った生鮮食材で炊き出しをしている地元住民の皆さんにお会いしました。伺えば、困った時だからこそ隣近所で助け合っているというお話でした。温かい食事が喜ばれるんじゃないかと考えたのだそうです。住民の皆さんから「ご一緒しませんか」と食べ物を勧められましたが、貴重な食料をいただくわけにはいきませんでした。

宮城県から東京の米国大使館に戻ったばかりの領事部災害支援チーム(左からアンディ・アチッグ、関野仁史、牛丸由恵、小木大介、私、鈴木勇次)

 大震災から2カ月以上たった今も、気がつくと私は宮城県でお会いした人たちにしばしば思いをはせています。立ち直ろうとする気力、協力の精神、そして地域社会を大切にする心が行く先々に満ち溢れていました。

エドワード・バールソン

COMMENTS

エドワード様

東北震災でのご任務、感謝いたします。ありがとうございます。マダマダ震災地では不自由な生活が続いている様子が報道されています。日本政府もナントしたことか?まずは近くの人と人との絆を築き、皆が私自身が立ち上がるよう努力しますアメリカの皆様にも深く感謝もうしあげます。

ジム様 エドワード様

今は援助していただくことばかりを想うことが多いのですが わたくしなどは東京に住まいをおき何の不自由もございません 東北震災地だけではなくアメリカ、世界中に不自由な生活や 理不尽な政策に哀しい想いをしていらっつしゃる人たちも多くいらっつしゃる事と存じます。 世界中のみなさんの為に私たちに出来ることなどご意見ください。 世界の絆大切に想う気持ちをありがとうございます。

先程の追加です。
この度の日本における大震災に対する手助けの全てを忘れません。感謝しています。そんなアメリカに対してだから、なおさら、なんでいつも勝手に独善的に物事を進めてしまうのだろう…と思うのです。本当はアメリカ大使館そのものにお出ししたかったのですが、窓口を発見出来ませんでした。それでは。

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