Z Notes Blog by Jim Zumwalt
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生麦――懐かしの街並み

(2011年6月10日)

かつてあった生麦事件の石碑。背景に広大なキリンビールの工場が見えます(Photo by Grassman)

 先日、横浜市鶴見区の生麦に行ってきました。ここは私が高校生だったころ、交換留学生として日本での最初の1年を過ごした場所で、再訪を楽しみにしていました。JR鶴見線の見慣れた国道駅を出て懐かしの「わが家」へと向かいました。でも途中でわけが分からなくなってしまいした。この細い路地は左に曲がればよかったんだろうか、それともこのまま真っすぐ行けばいいんだろうか? あのころよく目にしていたはずのものは何も見当たらず、かつて木造の一戸建て住宅があった街はすっかり様変わりし、高層マンションのビル群に取って代わられていました。

 ようやく私がかつて暮らしていた街角までたどり着きました。少なくともそう思いました。1階がお米屋さんの懐かしい「わが家」はもう跡形もなく、そこにあったのは今風の鉄筋コンクリートの建物でした。通りの向こう側にあったはずの牛乳屋さんも今はなく、アパートに姿を変えていました。その隣はたばこも売っていた小さな駄菓子屋さんで、優しいおばあちゃんが店番をしていましたが、このお店もやはりなくなっていました。ここは本当に私がかつて1年以上暮らしたところだろうか…。

 見慣れた風景を懸命に探して、そのまま1862年に生麦事件が起きた場所を示す石碑まで行きました。その史跡は今も高速道路沿いにあるはずでした。その途中、昔あった郵便局がもうなくなっていることに気がつき、自転車屋さんとカメラ屋さんもなくなっていました。

昔と変わらない朝日湯のたたずまい

 「生麦事件之跡」に着くと、そこで目にしたのは高速道路の上に橋を架ける工事で忙しそうに働く作業員たちとトラックでした。生麦事件の碑があったところには、道路工事のためにこの碑が仮移設されたことを示す小さな看板が立っていました。がっかりです。今も変わらず残っているものはもう何もないのだろうか…。

 そう思っていたら突然、昔よく見かけた光景を目にしました。前から歩いて来るお年寄りが手にプラスチック製の小さな洗面器を抱え、肩から小さなタオルを下げていたのです。その方が歩いて来た方向に行くと見慣れた風景を見つけました。煙が一筋、高い煙突からたなびいていたのです。そこは「朝日湯」さんという銭湯でした。その数分後、私は湯船に漬かり、私がかつて住んでいた街の見慣れた光景にやっと出会えたことに、ほっとしていました。

ではまた次回。

ジム

COMMENTS

ジム様

むかし懐かしい「生麦」散策、懐かしんでいただけて、嬉しいです。「あんな日本の事なんて」とお想いにならないで下さって、わざわざご訪問、お時間をさいていただきありがとうございます。

ジム様

John V. Roosさんのツィッターから、このブログに来ました。お近くに住んでいたなんて、思いにもよりませんでした。 日本の住宅地は移り変わりが激しいのですが、こういう風に横浜の街を思っていただき、ありがとうございます。 まだまだ、生麦の街は他の町に比べ、昔の雰囲気が残っています。 これからも、日米友好、よろしくお願いします。

いつも大使閣下のtwitterでのご紹介で拝見しています。まえに昔の銭湯をみつけて、さっと入浴された貴ブログは強く心に残っています。

先日、日本国籍を得られたリー・ドナルド教授が在日中に日本人の乗客から地下鉄の駅を尋ねられて嬉しかったと仰った、こんな何気ない言葉がとても私たちの心を暖めてくれます。有難うございます。

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