(2011年8月12日)
カリフォルニア州トゥーレアリ郊外にあった私のひいひいおじいさんの家を描いた銅版画 [高解像度画像はこちらから]
私が東京でお会いする日本の方たちは、東京以外の出身者が多いようです。生まれが首都圏であっても、両親や祖父母の代になると東京以外の出身という人もいます。私の出身地カリフォルニア州についても、同じことが言えます。カリフォルニア生まれの人でも、ほとんどの場合は1~2世代前までしか先祖をさかのぼることができません。というのも、この広大な州は1849年のゴールドラッシュまで人口もまばらだったからです。
私がいつも誇りに思うことがあります。それは、カリフォルニアにやって来たわが家の先祖から数えて私で5世代目になるということです。私の「ひいひいおじいさん」は1849年のゴールドラッシュでカリフォルニアにやって来た若者のひとりでした。ほとんどの金の採掘者同様、金鉱脈を掘り当てて一獲千金というわけにはいかなかったようです。それでもカリフォルニアのセントラルバレーに定住し、そこで農業を始めたのです。
こちらがその家の現在の様子
それから間もなくしてカリフォルニア州トゥーレアリまで鉄道が敷設され、カリフォルニアの豊かな農産物の大市場が東部に開かれました。私にとって掛け替えのないもののひとつに、トゥーレアリ郊外にあったひいひいおじいさんの家を描いた銅版画があります。周りを豊かな農地に囲まれた風格のある農家の家屋と、背景に馬や牛、そして煙を吐きながら走る蒸気機関車が描かれています。
今回の休暇でカリフォルニアに帰省の折、私はアンと1876年に建てられたその家を探しに行ってみました。線路をたどって行くと、トウモロコシ畑とブドウ園に囲まれたその家はすぐに見つかりました。2階のバルコニーはもう無くなっていましたが、紛れもなく旧ズムワルト邸でした。
わが一族がこの地を離れたのはもうずっと昔のことになります。それでも、この家が今もなお、アメリカの消費者向けの食物を育てる農家の住む家となっているのを見て、うれしく思いました。
遠くからでは、農場の広さに比べて家屋は小さく見えます
ではまた次回。
ジム
NHKテレビで偶然、ジムさんが花束を持って、献花をされる、映像を見ました。ありがとうございます。ひとつの歴史として、向かうべき問題です。
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